2学期の耕耘後土遊び

先日、子どもたちが毎年楽しみにしている「耕耘後の土遊び」を行いました。当日はすっきりとした晴天でしたが、前日に降った雨の影響で、土はしっとりと水を含んでいました。当初は延期も検討しましたが、延期予定日も雨の予報が出ていたため、思い切ってそのまま実施することにしました。結果として、この少しぬかるんだ土の状態が、子どもたちにとっては新しい発見や遊びの広がりにつながる良いきっかけとなりました。

農園園庭に足を踏み入れると、子どもたちはすぐに土の感触に夢中になりました。手で触れて「やわらかい!」「ねちゃねちゃしてる!」と笑顔を見せたり、足を踏みしめながら「ズボッと入った!」と歓声を上げたり、全身で土の感触を確かめる姿がありました。普段の乾いた土とは違い、少し重みのある土を使って山を作ったり、手のひらで丸めてボールを作ったりと、自然と工夫しながら遊びを発展させていく姿も見られました。

しっとりとした土の上を全力で走りぬかるみに足を取られて転んでしまっても、笑いながら立ち上がり、また走り出す子どもたちの様子からは、服や靴が汚れることも気にせず、のびのびと体を動かして楽しんでいることをうかがい知ることができました。そんな中で、子ども同士の関わりもいつも以上に活発になり、「ここ一緒に作ろう」「こっちにも山をつくろう」と自然に声をかけ合う姿が多く見られました。共同で一つのものを作り上げていく過程で、協力や思いやりが芽生えていく様子に、私たち保育者も温かい気持ちになりました。

先生たちも、子どもたちと一緒に土の感触を楽しみながら、童心に返って夢中で遊んでいました。子どもたちの笑顔や笑い声が園庭いっぱいに響き、見ているだけで心が和む光景でした。今回の土遊びは、単なる自然との触れ合いにとどまらず、自然の変化を感じ、友だちと協力する喜びを味わう大切な体験となりました。子どもたちにとって、心に残る思い出の一日になったことと思います。

里芋葉っぱ遊び&コスモス畑散策

当園では、自然とのふれあいを大切にした保育を目指し、自然活動プログラムの一環として、農園園庭で里芋を育てています。春に土を耕し、子ども達と一緒に種芋を植え、水やりや草取りをしながら日々成長を見守ってきました。立派に育った里芋は、毎年秋の収穫祭で家族に振る舞われ、親子で収穫の喜びを分かち合う機会にもなっています。

さらに、この里芋を通して自然の不思議さや面白さを体験してもらいたいという思いから、葉っぱを使った遊びの活動にも取り組んでいます。里芋の大きな葉は水をはじく性質があり、雨の日や水遊びの際にその特性を実際に体験することができます。子どもたちは水滴を葉の上に垂らしてみたり、そっと傾けて流してみたりしながら、「わあ、玉みたいになってる!」「水たまりができてる!」と目を輝かせていました。中には「となりのトトロで見た葉っぱだ!」と嬉しそうに話す子もおり、絵本やアニメの世界と現実がつながる瞬間を楽しんでいました。

この日は、農園園庭に咲いたコスモス畑の散策も行い、子どもたちは色とりどりの花を間近で観察しながら、「いいにおいがする」「ふわふわしてるね」と五感を使って秋の自然を感じ取っていました。さらに、たわわに実ったゆずや柿の木を見上げ、「オレンジ色だ!」「こっちはまだ緑だね」と季節の移り変わりに気づく姿も見られました。コレラの実は小さく切って容器に入れ、匂いを嗅いで楽しみました。

こうした一連の体験を通して、子どもたちは自然の中で遊ぶ楽しさだけでなく、季節の変化を肌で感じることができました。実際に触れ、においをかぎ、観察することで、自然への興味や関心が深まり、豊かな感性を育む一日となりました。

 

先生たちもコスモスに囲まれて、先生たちにもたくさんの笑顔が見られました!

 

本を読む習慣を持とう

近年、読書をしない人が増えています。文化庁が令和5年に実施した「国語に関する世論調査」によれば、「読書量が減った」と答えた人は約70%にのぼり、「あまり変わらない」が約25%、「増えた」はわずか約5%にとどまりました。さらに、1か月に読む本の量については「0冊」が約63%、「1~2冊」が約28%という結果が出ており、実に9割近くの人がほとんど本を読んでいないのです。

このような状況が続くと、私たちの生活には確実に弊害が生じます。本を読まないことで、少し複雑な文章を正しく理解できなかったり、意味を取り違えたりするリスクが高まります。SNSなどで短文に触れているから十分だ、という意見もありますが、読書にはSNSでは得られない大きな利点があります。

たとえば小説を読むこと。ビジネス書だけで十分だと考える人もいますが、研究はその認識を覆しています。エモリー大学やトロント大学の調査によれば、小説を読むことは他者への共感力や感情を読み取る力を高めることが明らかになっています。これは人間関係を築くうえで極めて重要な力です。また、小説に限らず読書全般は読解力を育て、言葉の行間にある感情や微妙なニュアンスを読み取る力を養います。そして何より、論理的思考力を磨く最良の訓練でもあるのです。

これから先、AIが仕事や暮らしの中でますます活躍するのは間違いありません。ただ、AIが苦手なのは「人の気持ちをくみ取ること」や「状況に合わせて判断すること」。つまり、人にしかできない部分は必ず残るのです。その力を伸ばすために、読書はとても有効な方法だと言えるでしょう。

とはいえ、忙しい毎日の中で「読書の時間をどう作るか」が課題です。ポイントは習慣化すること。たとえば、寝る前に10分だけ読む、通勤の時間に読むなど、日常の中に組み込んでみるのが一番です。また、スマホをなんとなく見ている時間を少し減らして読書にあてるのもおすすめです。

読書は単なる趣味ではなく、自分を成長させる大切な習慣です。AI時代だからこそ、本を読むことで磨かれる「人にしかできない力」を大切にしていきたいですね。

子ども達に生き物の死を伝える意味とは

夏の間、長きにわたって子ども達の遊び相手となってくれていたカブトムシが夏の終わりとともに少しずつ、しずかに死んでいっています。生き物には必ず死が訪れます。幼児教育のような心の育ちを重視する教育では、この「死」というものにどのように向き合い、子ども達に接していくかが考え方次第で大きく異なります。大学で教えている学生から、実習にいった園で、先生が壊れたおもちゃを捨てるかのように、死んだ生き物をゴミ箱に捨てていたと聞かされたことがあります。また、生き物が死んだら子ども達には知らせず、新しい同じ生き物を買って、死んでいないかのようにしているところもあると聞きます。いずれにしても、このような関りをしているようでは、生き物に対する愛情や愛着が子ども達の中に生起することはないでしょう。

近年では、生き物の世話への煩わしさや「死」への接し方の難しさから、幼児施設で生き物を飼うことが少なくなってきています。そのような風潮からレンタル動物という新しい産業も登場しています。普段は園に動物がいても園が休みの週末や長期の休みには動物業者が動物を持ち帰り、世話をして、休みが明けたら再び動物を園にもってくるというものだそうです。確かに休みの時などの対応は困ることも多いのは実情だと思いますが、レンタル動物では先生たちから、生命への尊厳というものが減少していくように感じます。そのなれの果てが、上述したような死んだ生き物をゴミ箱に捨てるという行為にいたるのかもしれません。

生き物には必ず死が訪れ、これを避けることはできないということを子ども達にはきちんと伝えることが大切です。そのうえで、どうしたら生き物が快適で長く生きられるようになるのかを共に考え、世話する機会を作ることで、生き物に対する愛情や愛着が子ども達に芽生えるようになっていきます。世話をするということは時には煩わしさや困難さを生じさせることになるかもしれません。しかしそのような感情が生じたとしても仲間と協力しあうことでその苦難を克服したり、懐いてくれる生き物の姿を目の当たりにすることや喜んで餌を食べている姿を見たりする経験等によって、生命の尊さというものに気づくようになっていくのです。そしてこのような生き物に愛情をもって育てたり世話をしたりする経験を繰り返すことによって、人へのやさしさや人との和につながっていきます。

子どもを褒めすぎるのではなく認めてみよう

インターネットが発展するにつれてあらゆる情報が容易に手に入る時代になりました。しかしながらその一方で、インターネット上では、うその情報や間違った内容が数多く見受けられます。子育てに関しても同様です。一見、もっともだと思えることであってもその内容を確かめてみると、一般的に言われている内容を過大に評価したものや、当てはめて考えてはならないものにまでその法則たるものを当てはめて言ってしまっているものもあります。また家庭での子育てをあたかも一般的であるかのように述べたものも散見されます。それでは具体的に一例を取り上げてみたいと思います。

子育てをするうえで、子どもは褒めて育てましょう、と多くの識者は色々な機会を通じて世間に発信しています。みなさんもよく聞かれるフレーズではないかと思います。この考え方に異論のある方はいないと思います。僕も異論はありませんが、そこには「ただし」と条件がつくように思います。子どもが他者の存在を意識しだす2歳ごろには、‘むやみにほめたおす’ことは控えた方がよいと思われます。その理由として、子どもはわれわれ大人を見て、そして模倣して育っていきます。当たり前のことをしていても褒められる、ということを繰り返し体験することで褒められないと行動できない人になってしまう恐れがあります。(最近の若者の中には、社会にでると叱られ慣れていないので、叱られるとすぐに会社を退職したり、上司に「私は叱られるよりも褒められることで能力を発揮する」という人が出てきたと聞きます。)もしくは、他者からの評価だけを基準に自分の行動を決めてしまうような人になってしまう可能性もあります。人からの賞賛がないと不安になり、行動できない人が増えてきているのはこのような‘ほめたおす’ことの弊害であると指摘している研究者もいます。

では、親としてどのように子どもと接していけばよいのか。それは、わが子が活動している姿を見守り、その活動が終わったら、できたこと、がんばったことを‘認める’という思考をもつことです。認めるとは子どもがやったことを、言語化して伝えるということです。例えば長く椅子に座ってお絵描きができたという場面があった際には、褒めるは、「おりこうさんね。静かに上手に待てて偉いね」などとなるのでしょうが、認めるは、「長い時間、静かに絵を描けてたね」という感じでしょうか。褒めるということはそこに大人の評価が入ります。なんでもかんでも褒めてしまうのではなく、褒めるときは本当にわが子がいつもとは異なる素晴らしい姿を見せた時に、おもいっきり褒めてあげてください。スマホをみながら言葉だけで伝えても子どもにはうれしさの感情が生起しません。褒めるのは量ではなく質に比重をおいて行うことが重要です。なんでもかんでも褒めてしまうのではなく、子どもの力を信じて見守るということも時には大人として必要な場面もあります。

コスモスの種まき

本日、やまなみ自然活動プログラムの一環で、2歳児以上の子ども達は、コスモスの種まきに行きました。昨年度までは、コスモス畑を散策するだけでしたが、今年度からは、ひまわり、コスモス共に、種まきをして、植物の生長が楽しめるように改良しました。

農業法人のお兄さん、お姉さん達がならしてくれた畑に、一人ひとりコスモスの種を手にして蒔きました。

種の形状を見て、「お米みたいだ~」というような声が聞こえたり、種の匂いを嗅いでみて、「何も匂いがしない」という声が聞こえたりと、コスモスの種を手にした子ども達からは様々な反応が見られました。

幼児教育で大切なのは、体験を通して考えることです。この際に、触覚、嗅覚といった五感を通して子ども達はさまざまなことを発見していきます。そして子ども達が抱く興味関心が子ども達の自発的な行動を促すことになります。それらが「生活」というものにつながっていくわけです。このプロセスが、よく言われる「子どもは遊びから学ぶ」ということです。子ども達の興味関心をどうすれば促すことができるのか、これが幼児教育を考える上ではとても重要なものとなります。「探究心から自発性へ」がすべての保育の根幹となるのです。

このような観点から、子ども達が体験を通して自然に触れあうことは、とても意義のあるものと言えます。

種まきの様子は、当園のインスタグラムでも紹介していますので、子ども達の様子はぜひそちらをご覧ください。

追伸・・・・・

昨年度は、異常な暑さによって、枯れてしまった里芋畑ですが、今年は農業法人の方々が同じ過ちは繰り返さないとばかりに丁寧に畑を管理してくれました。そのおかげでこの暑さの中でもご覧のように里芋は枯れることなく育っています。この調子だと、10月末には収穫祭ができそうです。

園児のご家庭のみなさん、楽しみにしておいてください。

 

 

7月のやまなみ自然活動プログラム

7月もやまなみ自然活動がたくさんありました。

ぶどう狩り、夏野菜収穫、川遊び、ひまわり畑の散策、、、、、それらの様子はインスタで紹介していますのでぜひご覧ください。

https://www.instagram.com/yamanami_kindergarten/

www.instagram.com

 

年中は花の名前のクラス名なので、年中児はクラスの花を育てています。ゆり(カサブランカ)が今年も大きく咲いてくれました。3つの鉢に球根を植えて、このほどやっと咲きました。白色のとても大きな花をみせてくれました。

鉢の一つはクラス前においていますが、その甘い香りに子ども達が気付いたようで、「何か甘いにおいがする」と、大騒ぎでした。先生たちから、「花にはいろいろなにおいがあるから嗅いでみるとわかるよ」と教えてもらうことで、また一つ自然に興味をもってくれたのかもしれません。ゆりは花期が短いので、夏休み前には枯れてしまいますが、もう少しの間、子ども達とともに目と鼻から楽しませてもらおうと思います。